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『歓びの野は死の色す』つれづれのことを語る

ここに、はる、かw

モネ展
http://www.tbs.co.jp/monet-ten/
ちょうど「風景」について想いをめぐらしはじめてるときなので、色々と腑に落ちたこともあって満足。あのへんをちゃんと見るには、「近代化(都市化、中世との距離感)」「風景(地方)」の問題等、つまり「オリエンタリズム(文字通りのそれと、中央から地方へのそれ)」、パリとその他の土地を行き来した作家たち(文学方面もまた、ドーデーの『風車小屋便り』等がどうやって読まれたかとかメリメやヴィオレ・ル・デュクのこととか、ね)の時空間意識みたいなのがあったほうが輪郭が掴みやすいな、というのがあらためて実感できた。というか、パラレルに見ていかないと、彼らの「実験」「企図」というのが掴みづらい、てことだろうな、という当たり前のことを(ぶっちゃけたんに、文化的背景がわからんと絵が読めないってだけのはなしと言われたらそのとおりw わたし、意図的に印象派のモノグラフ等よんでないからなあ、いやこれは敢えて、だから。たんに「風景画」という枠だけで見るのはやっぱり、現代人の傲りかとおもうんだよね)。
クールベとの比較とか。オルセーでも、そこで一区切りでまたそっから飛び越すんだよね。絵画であらわす時空の概念がちがくなる、とでもいうのか。キョーレツだな、とおもった。個人の、いや、人間の時間感覚とか、どこでどうなってるんだろうなあ? 
いやでもほんとに、19世紀は面白い時代だね。
線の概念はたしかに、こう見ると負けたんだろーなー、みたいな気持ちもした。
とはいえ、カタマリのひとたちもいるしなあ、うーん・・・(セザンヌがもうね、一昨年だったかの六本木でもおもったけど、このひと何かを組み立てるの楽しくてたまらんだろーなーって感じでねえ)
それから、モネは晩年になっても、というか、あのひとたち全員(微妙にゴーギャンだけはあやしい感じだった)、中心線アリというか構図はキッチリ閉じてるんだよなあ。オランジュリーの睡蓮の間でわたし酔っぱらって気持ちよくなってばかりいて「視点」の問題に踏み込まなかったというか、あれはほんとはどうなんだ??? プレザンス、または永続的な光と風の変化はうつしとっているのだけど、「視点」に揺らぎはない画面構成なので、いやそこが動いたらなにもかもうごいてしまうからそうだろうが、思い出せないんだよなー(←だめなひとw)。
カメラのはなしとかも絡むんだろうけど、むー、まあいいや。
あと、居住空間の装飾性とかについても考えないとならない。
そして、イロイロ考えることはあったんだけど、モネは美しいねええええ(けっきょく、そこだw)。
水面の反射とかにモノホンの黄金が散らしてあるみたいに見えたよ。地中海性気候独特の空気感とか、肌にあの湿度と、ひかりを浴びるときの歓びがよみがえる、というのか。色彩の快楽とか配置(リズム的なモノ?)の快楽とかっていうのは、あるね。うん。
(でもわたし、線が好きよw)
あ、矢代氏の本も出てたよ。松方コレクションはすごいものだよ、うん。
そしてひそかに、こんかい一番のツボはロダンについてのモネの序文だったことをお伝えいたしますw

ぐぐったら、こんなの、あった。
http://langue-fr.c.u-tokyo.ac.jp/resonances/resonances03/resonances2004_dissert_j.pdf

生誕150周年記念 国立西洋美術館所蔵 エドヴァルド・ムンク版画展
http://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2013munch.html

ムンクは何回か日本に来てるのでわりあい見てるとおもってたのだけど、見たことないのもあったので速足だけど(もう足が限界だったよ・・・)いってよかった。《アルファとオメガ》に乾いた笑いがとまらず、いやームンクだなあ、みたいな気持ちになった。ムンクの場合、わたしは圧倒的に版画が好きなのよ、ね。