基調講演でのエスポジト氏の講演内容は、「ペルソナ persona」という概念の審級に深くかかわっている。人格、位階、あるいは仮面とも訳されるこの語は、その多義性のなかで、とりわけ法哲学的なコノテーションを前面に出しつつ、西洋思想のなかで中心的な立場を担ってきたと分析される。エスポジト氏によれば、ドゥルーズやアガンベンが「装置」の名で批判してきたオイコノミアを基礎づけていたものこそがこの「ペルソナ」にほかならないのであって、そこにおいて「神/人」「魂/肉」の二分法が類比的に構造化されたとみなされる。主体と非主体の存在論的差異を基礎づけるこの構造が、後者を「堕落」や「病」「動物」と名付けてきた当のものでもあるのだ。
http://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/blog/2011/03/roberto-esposito-persona-as-de/
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おいこのみあ、きた。
あと、人称、うん、そうなんだよねー、なんかこのへんもちょっとやらないとなのだけど、まだうえのPDFすら読み終わらない