id:florentine
florentine(磯崎愛)のことを語る

id:Midas Midasさん、コールありがとうございます。
あんまりおおっぴらに言いたくないのでハイクでお返事します。
おっしゃるとおりわたしは気を悪くもしてないし、作品自体の「読み」についてわたしとMidasさんとの相違はほとんどないとおもいます。鴎外は、「じいさんばあさん」のような小品を読んでもいかに底意地が悪いのか、透徹とした精神の持ち主なのか、つまりべつの言葉で言えば小説家としての素養がふんだんにあるかわかります。業績を調べていけば、ありとあらゆることがほとんどこのひとにやり尽くされている。まして自分を美化するだなんて甘ったれた存在なわけはない。
わたしが苛立ってしまうのは、「今日でもこの小説を読む者の大半はそこまで思い至らない」の部分、相沢に同調し正しいことを言っているつもりのひとたちへのそれです。ずっと、舞姫の話題が出るたびに、「軽率に断罪する正しさはここへ落ちる」とおもっているからです。
しかし、わたしも苛立っているという自覚のある時点で「軽率に断罪」したいという願望はあるわけです。
そんなわけで、そこを引用したのはわたしの気の弱さかとおもいます。表立ってものを言うときにどんな言葉が伝わりやすいのについては考えましたが、じぶんの苛立ちを押し殺したうえで無難なものを選んでしまっている。
この鴎外の件に限らず、やさしそうなこと正しそうなことを言いながらいざとなると他者を抑圧する側にまわるひとの多いことがわたしにはとても怖い。歴史を見ればそのくりかえしであるとは思いはしますが、こわいものは怖い。他人のことだけでなく、どうやって自分自身を律することができるのかわからない。
わたしは小説を書く人間なので本来こういうことは表だって口にせず、じぶんの内側に溜めて何らかの作品で書くほうが、たとえ拙いものであろうと自分のためになる、もしかすると誰かに届く可能性もあるかもしれない、と考えています。
お返事になっているかどうかわかりませんが(メルトゥイユ侯爵夫人に怒られそうなお便りで恥ずかしいです)、Midasさんにはまた「聖像」のようなお話しを聴かせていただけたらとずっとお伝えしたかったので書きました。
(書いて、だけど、ちゃんと「声」としてある、というのが感じられたので)
では、寒い日が続きますのでどうぞご自愛のほど。
Midasさんがはてブにいらっしゃるとなんとなく嬉しいです。