新しく公開しました。
殯の宮の策謀 - 崇峻天皇は死んだ - カクヨム
https://kakuyomu.jp/works/1177354054886612530/episodes/1177354054887866625
お暇なら読んでね。
今回の書き出し。
>>
橘王の正妃、間人王女は、四人の男子を産んだ。厩戸王子、来目王子、殖栗王子、茨田王子である。なかでも厩戸王子は、幼くして能弁、少くして英知あり、早くから仏教にも関心を示していた。目ざとい炊屋姫尊は、己が女の貝蛸王女の婿として約束をさせている。次の妃、前の大臣稲目の女、石寸名は、田目王子を生んだ。次に、葛城直磐村の女、広子は、麻呂子王子と酢香手姫王女を生んだ。
年が明けて、春が過ぎるころには、瘡の病の流行もおちついて、人々の畏れも和らいできた。他田王の殯の宮にて、弔辞を述べる儀式がやっと開かれたのは、この年の五月のことである。広瀬に設けられた殯の宮に、王侯貴族が陸続と集まる。しかし橘王は、気分がすぐれないとして、池辺の宮に休んでいるが、式次第に支障はない。炊屋姫が全てを采配しているからだ。
蘇我馬子大臣と物部守屋大連も、ここで久しぶりに顔を合わせた。守屋は平静を装いながら、内心で苦々しさを味わった。病弱な橘王のもとでは、炊屋姫尊の後ろ盾を得られる馬子に比べて、守屋の立場は一歩劣ってしまう。
<<
logoon 診断結果。今回は熊本弁っぽいものを表現するため、例外的にカタカナが入っています。そして北原白秋先生が味方です。