痛ましい事故、事件の渦中にある人間に今どういう気持ちなんだろう、と言う
他者からの好奇心を満たすために存在するのがメディアであり、それは人間の素朴な感情であり
我々三人にもそういう目が向けられてるのかもしれない、そういう視点を意識して暮らすべきなのかもしれないと思いつつ
説明責任なんてないしそんなもんを意識して暮らしたところで毎日どう過ぎていくんだよ、と思うのでそういった人間の欲求を唾棄してるんですけど
私は私の子供を楽しませる義務があるのでファンファンファンと言う感じで休日は過ごすよね、
責任があるならそこだよね、っていう話なんですけど
誰もそこまで考えは及ばんだろう。
及んでくれよ、と思うけどそれに関してじっくりと話すのは勘弁してほしいし数回でうんざりするし
我々が予想以上に元気なのは我々の努力と過去の辛さからの解放で成り立っているので
そんなものを少ない言葉で表明できないし、察しろと言って察せるものでもないのでしょうがないんだが
違和感を感じられててもそんなものに構ってられないわ、と無視する私の判断が正しいのかはわからんが
やっていくしかないんだよ、と思う。
子どもたちがほんとによく毎日を過ごしてるのは努力の成果だし、あれこれしている私も頑張ってるし
なんか時々血も涙もない人間みたいに思われているのがやだな、と言う気分になるけど
そんなことはない、頑張ってるだけで。
しゃべのことを語る