>人権の自明性を批判をしたいならば、その批判とは本来、「私は人権を認めない」以外ではありえないわけです。
いや、それはそうではないと思う。
そうであるかも知れないが、基本的に問題の本質は「人権が自明かどうか」より、「人権は自明だが、それ(図書館で浮浪者が涼むこと等)が人権かどうか」だと思うのです。
だからどうも本質とは異なるところにエネルギーを(まぁ議論のエネルギーなど行動のそれに比べれば微々たる物ですが)投入している気がする。
人権の自明性のことを語る
>人権の自明性を批判をしたいならば、その批判とは本来、「私は人権を認めない」以外ではありえないわけです。
いや、それはそうではないと思う。
そうであるかも知れないが、基本的に問題の本質は「人権が自明かどうか」より、「人権は自明だが、それ(図書館で浮浪者が涼むこと等)が人権かどうか」だと思うのです。
だからどうも本質とは異なるところにエネルギーを(まぁ議論のエネルギーなど行動のそれに比べれば微々たる物ですが)投入している気がする。