9条は「お前から殴りに来ない限り、俺はお前を殴らない」と言う意思表明である。
それを小国がするのではなく、日本のような大国が掲げるところに意味がある。
そもそも、一般的な社会を見回したときに「話し合いは決裂したな、では暴力で結論を出そうか」などと言う企業が存在するだろうか。存在しない。なぜなら企業は文化的な社会に属しているからである。企業に限らず「社会」に属する人は「暴力を最終手段としていない」。交渉があり法があり、その先に秩序を目指す。
人々は「社会」にいるのに、その上に立つはずの国家はいまだ「野蛮」の中にいる。
9条の「専守防衛」思想は、地球の国家群がいずれ社会に属するものへと向かう流れとなった時に、その取っ掛かりとなる「平和への橋頭堡」である。
戦争はなくならない、ただし減らすことはできる。「戦争がなるべく起きなくて済む『社会に属するものとしての国家』」へと変わるための指針として、大国である日本は引き続きこの九条を保持していくべきで、それこそが中長期的に大きな国際貢献となるだろうと、私は考えている。
憲法九条のことを語る