ああ、丸い丸い丸い丸い。この時期、きゃつは腕を曲げ、広げ、指を伸ばしたいつもの姿勢を過剰に演出せんと、大量の球をその身にまとう。
「あれはエネルギーの球に違いない」
今年もまた、世間を混沌の渦に取り巻く為、妖しさすら漂う体液の色を表出させたのだ。すでに人々も報道もそのことに浮き足立っている。
だが、私考えるところのそのエネルギー球を、「丸い」だの「球」だの指摘する声は滅多に聞かれない。今年もどうやらそのようだ。
「果たして世間はあれをどのような形と見ているのか」
妖しさを根本に死体が埋まっているとさえ表現しうる高度な感覚に、未知のエネルギーを球体として描く漫画表現は連想されないのか?
そうしてまた私は人々とエネルギーの様子を探らんとこの場所にきた。人々はみな頭上を振り仰いでいる。もしくは頭を垂れて食に勤しんでいる。
おお、あんなに丸いのに、誰もそうとは言わない。ただ「うつくしい」「きれい」「花より団子」というばかり…
もしや団子という言葉がエネルギー球を象徴しているのか?
私のひらめきよりわずかに早く、突風が地を撫でた。途端、わき上がる歓声と感嘆の声。
エネルギー球がほぐれ、大量の薄紅の花弁となって人々を混沌へと陥れる。例外なく、私もだ。
またこの春も、「桜が、丸い!」という声が聞こえることはないだろう。
超短編のことを語る