いわゆる強姦神話の影響だと思いますが、性暴力の被害にあった状況や立場はさまざまです。
親族や実の親に襲われた人が性暴力について話しているときに
>もし、全力で「男性と二人きりで、なんかあっても私は悪くないと思う」と頑なに言い続ける人がいたら、「いや、そこはなんとかしてそういうシチュエーションにはならないように気をつけておこうぜ」って意味も込めて、「100%悪いとは言えないんだよ」と私なら言うかも。
このような返答をすることにどんな意味があるでしょうか。
また、「逃げられない状況だったなら、十分に自衛の努力をしたなら仕方がない」「落ち度は何%くらいか」と外野がジャッジすることではけしてないと思いますよ。罰という言葉が不適切なのはよくお解りだと思いますが、加害者が「おしおき」「罰則」の一環として強姦を持ち出すこともお考えになってみてください。これがいわゆる「強姦魔の理論」です。
性暴力を事前に防ぐために「いや、そこはなんとかしてそういうシチュエーションにはならないように気をつけておこうぜ」って意味も込めて、「100%悪いとは言えないんだよ」というのは間違っていると思います。実際「100%悪くない」のですから。
悪意のない被害者落ち度論のことを語る