「ならぬものはならぬ」は、今のヒトには古くさい因習のように、全体主義的空疎なスローガンのように聴こえるかもしれない。容保公も会津藩の性格に違和感を覚えて戸惑っているように見える。
でも、第一話で描かれた、会津の四季、風土、人の心が、いずれ「ならぬものはならぬ」の底にあるものに繋がっていくのではないかと思います。
幕末の動乱がすぐ底に迫っているのに、軍事演習で鳥追っかけてんのか!っていうのも、今後変革を迫られる会津とのよい対比にもなると思うし、ついこの間までここにあった懐かしい時間ともなるんじゃないかなぁ。
八重の桜のことを語る