トリプル離縁について 2
・もし武家の時代だったら、うらちゃんは格式の釣り合った家から嫁いだ身で、時栄さんとは別格で、時栄さんには「夫がお世話になりまして」と妻として言うことが義務でもあったと思う。でも、うらちゃんはそうはしなかった。
おなごの意地っていうのは、自分の気持ちに正直に、ということだよね。うらちゃんがお嫁にきた理由が「向こう向いて座っていろ」と言えば、一日中そうしているっていう「忠実さ、従順さ」、武家の妻に求められる資質だった。そのうらちゃんが自分で決めた離縁。会津戦争でうらちゃんも変わったんじゃないのかな。
たぶん京に行くのも、親戚かなにかを頼って会津で暮らすのも、どちらもうらちゃんには辛い選択のはず。その選択の決め手が「武家の習い」ではなくて「私の気持ち」だったことが、私には救いのようにも思えます。
けど、うらちゃん…(;ω;)うう、私も一緒に泣くから、泣くからね。
八重の桜のことを語る