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八重の桜のことを語る

慶喜公が背負っているものを捨てて捨てて徳川家を守ろうとしたのと反対に、容保公は背負って背負っていく道を選んだんだと思う。最後は江戸という時代、武士の時代を背負っていたんじゃないのかな。
合理的に考えれば、主君であれば藩の領民の命と生活に責任がある。名君と言われた人は藩は領民のもの、主君の座は借り物とも言っていて、この時代にはすでに藩や領民はワタクシのものとしないという考え方があった。ただ容保公はワタクシのものとして家臣や領民の命を危険に晒し、失わせたのではないと思うんだけどな。
土佐たちは容保公がいたから、切腹という選択ができたわけだし。