容保公が暗愚か?
暗愚ではないと思う。会津の家訓に従って、会津公として幕府に尽くそうとしたときと同じように、今、家臣に尽くしているんだと思う。望まれる主君を最後まで貫こうとしているんだと思う。そうでなければ、大蔵の入場の際のあの表情は説明がつかないもの。
家臣にだって生き延びたい人はいた。領民だってそうだ。自分の首で戦が終わるならそれでもいいんだと思う。ただ、京都から会津まで自分(ではなく、“会津”という共同の信念)に付き従ってきた家臣のために生きて戦っているんだと思う。
家臣にただ生き伸びろと言うのではなく、新しい価値観を与えられればよかった。でも家臣が望んでいるのは、新しいもの、変化するものではなくて、変わらないものだったんだと思う。
どちらかを選ばなければいけなかった。間違った選択だったと思う人はいる。けど、間違いではなかったと思う人もいる。そういうことだと思う。
八重の桜のことを語る