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modokiのことを語る

人事の句ではありません
「思いがけない春の雪に、早春の行楽にやってきた観光客が閉じ込められているのを、『芦ノ湖そのものが春を目前にして雪に閉ざされていると感じた』」ということで、観光客立ち往生のニュースから、芦ノ湖そのものが雪に閉じ込められている様を思って詠んでいるので、これはジャンルは何かわかりませんが、春の雪の季語で芦ノ湖という地を詠んだものです

なので、作った者としては、読み手に雪に埋もれた湖が思われたということであれば、まずはそれでよくて
次に、「春」というところに引っかかったということであれば、さらによいのです
その「おや?」という地点から、読み手の想像が生まれるのだと思うからです
その地点から、否定に進むのももちろん構わないです
「春の雪では一時たくさん降ったにしても、その雪景色はそう保つものではないだろうなぁ」と、“はかなさ”へ戻ってもらってもいい
「春の雪なら、すぐに融けるのだろう。その水は湖の注ぐのだろうか。」と、その先の水の巡りや春の訪れに思いを馳せるのもいい
「芦ノ湖」というところで、雪に閉ざされる人気のない観光地を思ってもいいし、震える観光客や雪景色を眺める観光客を思ってもいい
「おや?」だけではありませんが、何かしらのフックの先が読み手の世界だと思うのです
なので、modokiさんの最初の感想は私の句の意図を十分汲んでいただけていますし、「おや?」の先がその人それぞれの道なのだと思います

同じ素材で人事の句で詠み直そうかなぁとも思いましたが、それには私が立ち往生の当事者である必要があるので、やっぱり無理だなぁと思いました

固有名詞について思うことは、別途〜