新しく公開しました。
婚嫁と因縁 - 崇峻天皇は死んだ - カクヨム https://kakuyomu.jp/works/1177354054886612530/episodes/1177354054888545549
お暇なら読んでね〜。
今回の書き出し。
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この静かな倉梯の宮に、蘇我馬子大臣も時には自身で奏上をしに参内する。山々の懐へ入って行く道を、馬子は騎馬で往く。馬を駆けさせはしない。供回りの者たちは徒歩だからだ。馬のおかげで遠い道が楽にはなるが、速くはならない。
法令は、名分として倭王の認可を必要とする。政策の決定は海石榴市の宮でなされても、倉梯の宮へ持って行って、泊瀬部王にくどくどと説明し、その形式的な承認を得なければならない。こんな形式は能率の悪いものとして破りたくなるところだが、馬子はそう急がない。馬子は形式の効能をよく知っている。形式が権威を作り、王が権威を象徴する。王とは屋根を飾る千木のようなものかもしれない。千木を高く上げた御殿の中で上座を占めれば、それだけ多く権力を振るうことができる。屋根の粗末な家に人は集わないものである。
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