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思わずコピペのことを語る

 昔、「疑うべき常識を持っているのか」というエントリを書いた。
 その中で、「常識を疑え」「常識に囚われない」「多角的なものの見方」といった言葉は「常識」をちゃんと修得している人としていない人では全く意味が違ってしまう、すでに「常識」を持っている人にとっては、固定化してしまった視点や立脚点を一度相対化してみるという意味があるが、もともと「常識」のない奴にとってはこういう言葉は自らの常識のなさに対する免罪符にしか働かない、といったことを書いた。