もう1つ気付かされたことは、私がどれほど儀式を嫌っているかということだった。なぜとくに感染症にかかりやすい状態で生まれた子を生後1カ月でお宮参りに連れて行かなければならないのか、またなぜ妻の実家は私の子のために武者の兜を贈ってくるのか、全く理解できなかった。それでも儀式は自分のためではなく周囲のために実施または参加するものだと自分に言い聞かせて、どちらでもよいと言っている私の両親にお宮参りへの参加を依頼した。とはいえやはりどうしても私は近年の政治勢力としての神社本庁に全く組みしたくないので、妻の両親を説得して神社ではなく寺へ行くことにした。案の定、数日内に子は風邪を引いた。高価な武者兜が届き、置き場に困っている。せめて子をそっとしておいてほしいし、くれるならお金のほうがずっと役に立つのに。儀式をしなければ「子が神仏の加護を得られない」と言われるだろうから渋々実施したが、どう考えてもマイナスしかない。だいたい私たちは皆百姓の末裔であるのになぜ、かつての特権階級である武士のアイテムをありがたがらねばならないのか。はっきり言って儀式は嫌いだ。
通勤電車の中で考えるのことを語る