何がオリジナルかわからないけどツイッターの記事で「剥製は誰が作っても同じだと思っている人は下手な剥製を見たことがないのだろう」といって明らかにうまくできていない剥製の写真が貼ってあって、なるほどと思ったことがあったのだけれど、昨日買った地元のお茶をいれたときも、お茶はどれもお茶だろうという認識だったところに、ちょっと思うところがありました。つらいというほどではないけど、なんか気が抜けた感じっていうか。お茶そのものか煎じ方かどちらが自分の慣れたものと違ってたのかわかんないけど。でもいつもと違うお茶として飲むけど。ところで「美味しんぼ」では「かわいそうに、本当にうまいなんとかを食べたことがないんだな」というセリフが初期にはあったけれど、あれって味に触れることで、今食べているものの美味しさが人間のこれまでの努力の上に成り立っているんだなあ、お茶の木が生えてたとしても自分はそれをおいしいお茶にして飲めるだろうか、やはり人は一人では生きていけないよなあという気にもなったよ。
不味くてつらいのことを語る
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