野暮を承知の上で。
そもそもブログはウェブログの略称であったはずですし、もっと言葉の原義へ遡ると素人目には「編集すること罷りならぬ」と考えやすいものに由来していますから、厳密に時間と事象を結びつけるものであった、とは思われます。昔は。
今は、どうなのでしょうね。
過去を編集できる訳ではありませんけれども、編集せずに放置しておくと他者へ害の及ぶものについては真実を捻じ曲げない範囲であれば編集された方が良いかも、とは思えます。事実誤認に基づく風説の流布とか、そういうものですね。
一方で思索の流れを保存する目的ならば、そもそも編集という手段が選択されない気がします。編集している時点で保存もされていませんから。
お芝居のゲネプロを覗き見る、のような意味合いをも込めてみれば、思考の変化や積み重ねを編集せず閲覧可能な状態で保存しておく方がアレコレと楽しそうな気もしますが、いま目の前にある機能をどう使うのか、を考えてみることは悪いことではないな、と感じられました。
まるっきり「好き」については語っていませんが、久しぶりにログインして最初に見えたものが面白いと感じられる話題でしたので乗っかりました。
できれば、ご容赦を。