いわゆる「ロスジェネ」で、フェミニズムの要求の早期実現のためにビジネス合理性との妥協を優先する人たちは、専業主婦やパート労働の女性に対して、ほかの世代に比べてずっとシビアな傾向があるかもしれない。
例えば配偶者控除は確かに、妻が無賃労働としての家事を担うことが多かった社会状況下で設計された偏った制度かもしれないが、その贖われない労働へのペイバックを極めて消極的ながら社会全体に担わせるという意義もあったのではないだろうか。もちろん家族間での労働分担の形態を限定する悪しき効果があるから、別の代替制度を考えるべきだという意見には賛成したい。だが家事という無賃労働そのものの負担をより幅広いタイプの家庭で社会的に軽くする方法を考えずにただただ配偶者控除を廃止するのであれば、結局のところそれは増税に等しいのであって、しかも納税者が低所得者であるほど税率が上がる逆進課税のようになりはしないか。
前述の人々が配偶者控除の単純廃止を肯定するとき、最低所得世帯をあまり省みていないように見える。こうした人々は概して共働きであり、世帯年収は必ずしも高くはないものの「自分たちはひたすらに努力して家事労働を負担しながら、戦後最も厳しい労働市場の競争を生き抜いてきた」という意識を抱いていて、その意識が論調に影響しているかもしれない。
失われた世代の数少ない成功者たちが、同世代の中間層の支持を得ながら社会の主導的地位に就くとき、自己責任論は最高潮に達して、あらゆる社会的再分配が廃止されていきはしないだろうか。実際私はそこに近い人々がリバタリアニズムに深い共感を示すのを見たことがあるので、その悪夢のような予想が頭から離れない。