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日記のことを語る

2019/12/26

父親になる前は、フェミニズムは私にとって選択肢だった。誰よりもまず、パートナーとともに歩む自分自身のために選択したほうがよい正義だった。逆に言えば「降りる」こともできる何かだった。

だが父親になると、フェミニズムが指摘するさまざまな問題は圧倒的現実として本当に自分自身の視界の至るところに現象しており、その敵は私自身の個人的内面から、家庭、職場、社会、市場、国家、世界までのすべてのレベルをどこにも逃げ場なく支配していることがますます明らかになった。とくに家事、出産、育児のことを考えると、そうした無賃労働を女性に押し付けている限り労働者男性は資本家男性による搾取に加担しているのだということがますますはっきり分かってきた。「降りる」ことができるものだという認識は間違っていたのであり、降りたと思い込んだとしても実際には現実から目を背けることにしかならないのだ。

勉強の目的はただ一つ、誰も奴隷にせず、誰の奴隷にもならないために。

これが20代後半からの私の信条だ。その信条に従って、私は marxist feminism について学び始めることにした。