1945/8/15
彼らは謝ることもできたし、謝らずにいることもできた。
彼らは謝るならば正しさに関わらず好きな理由を選ぶことができ、その後はまた謝るきっかけになったことを含めてすべてを今までどおりに続けることができた。彼らはいかなる責任も取ることなく自らの責任を痛感し、一切を説明することなくこれからも丁寧に説明を続けていくことができた。
彼らはまた謝らないならばひたすらに他の者によって決定されたことに同意することができ、そのことそのものをずっと謝らずにいることもできた。
彼らはむしろ、謝らせることさえできた。彼らは彼らの代わりに、彼らがかつぎあげてきた者に耐え難きを耐えさせ、忍び難きを忍ばせることができ、しかもついにはその者に彼らの責任を取らせることもなくその後何十年も生きながらえさせることまでできたのだった。
日記のことを語る