「私はフライドチキンやハンバーガーに憧れなかったけれども、コーヒーを介して
西洋に憧れを持った。」
という母親の言葉に、極めて1960/70年代の夢みたいな感じを受け取ってしまった。
そして、母親がしばしば口にする「ジャズの深さ」というのも
同心圓上に存在するその他洋樂がちらついて見える。
母親が青春を過ごした1960/70年代に我々が知っている元ちとせのような振舞である、
民謡の歌い方でポップス風の編曲のアーティストやプロデューサーは
出てきただろうか。奄美とは言わないものの、東北出身の女性にそういう振舞をさせただろうか。
「東北の縄文の匂い」
みたいな振舞をさせればかっこいいと思うのだが、当時はしなかった。
泥臭い演歌や昭和歌謡に対して、いわゆるロックジャズみたいな對抗軸でものを考える時代
だったように、リイシュー盤や中古盤のlp/cdから類推してしまってる。
ヒトコトのことを語る