昨日の続きになるけれども、1960/70年代とか、最近でも城東地方で
考えられている
「朝敵にされてしまった東北」
「貧しい東北」
「上野駅のある城東地方がより貧しい東北を守らねば」
みたいな考えよりも
東北出身の作家である
高橋克彦氏が主張する
「東北の繩文の匂い」
という考えに馴染みやすい。
だから人は関西だけでも、東北だけでも生きているわけではないと
考えてしまう。
それと、1960/70年代、民謡ベース東北出身の歌手に
演歌や昭和歌謡を歌わせてしまうのは、致し方ない部分があったのでは。
今だったら、東北の元ちとせみたいなアーティストが作れそうに思う。
元ちとせのあり樣を認めなかった母親にここ十数年いきり立っとったが、
登場の音楽のあり樣を考えれば洋樂に影響を受ける人と、
民謡土台の人には斷絶があったようにも思える。
ヒトコトのことを語る