私がムトゥとか韓流ドラマ、元ちとせを批判する
母親に怒るようになり、母親の考えの、背後關係を
やたら難しく考えるようになったのは、
oasisやbulrの日本への紹介があったからだと思う。
これまで、母親が憧れていて、
深さに感銘を受ける音楽がジャズの同心円状に展開していて、
当時はエッジの効いた表現と持て囃し、今となっては
伝説と語り継ぐ音樂がロックジャズにたくさんあった。
それが、カート・コヴァーンの急逝後、oasisやbulrの日本への紹介が
存在し、苦い現実を噛みしめることになったけれども、
その苦い現実を噛みしめて、他に面白さを見出そうとしている
自分に、あたかもカート・コヴァーンが生きている時代が
続いているかのような感情で自分たちの時代の
苦さを理解しない母親のことを許さなくなったのかもしれない。
ヒトコトのことを語る