1991年の永井真理子
古いカセットテープに永井真理子と笹野みちるのラジオ番組での対談が残っていた。
これは記憶をたどれば1991年に放送されたもので、NHK-FM の「永井真理子のミュージックスクエア」に笹野が出演したものと、TBSラジオの「笹野みちるのスーパーギャング」に永井が出演した時のものだった。二人はともに短髪でパンツを履くような活動的なイメージで人気があった。
永井や笹野のような「短髪で活動的」な女性として人気を博した早い例の一つは、全日本女子プロレスの長与千種だったと思う。長与とライオネス飛鳥が結成した「クラッシュ・ギャルズ」の人気が絶頂にあった1985年は、全女の新人オーディションへの応募が3000人に達したことが記録されている。この年は、1972年の「勤労婦人福祉法」が「男女雇用機会均等法」に改正された時でもあった。
長与千種は、全女の松永高司会長に、先輩のビューティ・ペアが「ジャッキーは男だ。マキは女なんだ」というのと対比して、「飛鳥は男っぽい。でも、おまえは中性なんだ」と言われたという。当時、女子プロレスの客席には十代の少女が多く、本格的なカメラに大きい望遠レンズを付けて持ち込み、長与が現れると入場曲が聞こえなくなるほどの歓声を上げていた。「中性的」なアイコンが熱狂的に支持されたのはなぜか。その背景には、従来型の女性像に頼っては将来を描けないという、不安な心理があったのではないかと思う。
「長与型のアイコン」という捉え方をすれば、ある面にそんな印象を纏って登場した有名人は、この時期に何人か思い当たる。永井真理子や笹野みちるもそうした例に数えることができるだろう。
長与は当時の全女の「25歳前後で引退する」という慣例の通り1989年に最初の選手生活を終える。笹野は1991年にバンドを解散して一旦表舞台から姿を消す。永井はその後、髪を伸ばすことを宣言し、93年に結婚すると、引退したわけではないとはいえ、急激に目立たない存在になってしまったと記憶している。
要するにこうしたアイコンが、子供っぽさが許される年齢のうちは良くても、そのまま大人になろうとした時、これを受容する感性が欠けていた点に、日本社会が抱えた――今もある――限界があったと思う。そして多くの人が従来の性別役割的意識に窮屈さを感じながら、明確に刷新する機会を失い、必要に迫られながら新旧の妥協をずるずるとしてきた。それがこの三十年ほどの間、日本人の生き方になってしまったという気がする。
こんなことに対する哀しみが自分の中で長いこと続いているので、自分がこういうふうなことを言うのは何となくおこがましいような気がして今までしまってきたけれど、カセットを整理した機会に雑然とながら記してみた。そろそろ気持ちの棚卸しをしてもいい頃だろう。録音して今も持っているということは、好きということですよ。擱筆。