トランプ政権期についてざっとまとめておく。覚書ふうに。
- アメリカ第一を敢えて言うことがト氏の戦術だった。
- 自国の利益が第一というのは当たり前のことで、ふつうは敢えて言わない。だからどういう政策になるのかという点に本当の争点がある。
- ト氏は所与の前提を敢えて明言することで、ト氏に反対する者はアメリカの敵であるという図式を作った。
- この図式にまんまと釣りこまれた人は、反対意見にも妥当性があるということを考えなくなるので、政治的立場による分断を強めることとなった。
- このような詐欺師の話術のようなやり方は、どの政治家も多少なりとも使いがちなことで、ト氏に限らない。
- 民主制は政治家を選ぶための仕組みであっても、必ずしも政治家を育てないという点に注意する必要がある。
- 分断は今に始まったことではない。ト氏はここ三、四十年の分断傾向に便乗したに過ぎないとも言える。
- かつての自由主義は実に放埒なものであり、その反省から、競争の勝者が支配者になることによる不自由を防ぐために、権力が規制し、調整して自由を保全するということが、二十世紀の主流となる思想だった。
- 所が1980年代頃から、勝者が利益を占めるのは当然だとして、放埒な自由主義に回帰しようとする流れが、次第に政治を動かすようになってきた。
- 放埒な自由主義への回帰傾向は、経済的格差を固定化し、それが政治的分断の下地になってきた。
- 米国と中国の関係について。これは「自由民主主義対国家社会主義」なのか?
- 中華人民共和国が国家社会主義経済をやろうとしたのは、最初の三十数年間程度で、1980年台には「改革・開放」で経済の自由化に舵を切った。
- これは「社会主義経済が実現するまでの過渡期としての資本主義の段階」という建前で、政治的反自由主義と経済的自由主義を組み合わせるという、独創的な体制となった。
- 本来は放埒な自由主義を非難する立場が、政治思想としての社会主義が成立する流れの中にある。
- 十九世紀以前の放埒な自由主義の流れは、多くの場合、少数派の犠牲の上に、民主制を持つ所謂「国民国家」を形成した。ケルト、バスク、アメリカ先住民、アイヌ、琉球などはその犠牲者である。
- だからソ連には少数民族保護政策というものがあったし、中国にもある。
- しかし中国の経済的自由が成功してくるのに伴って、歴史を見るような、「国民」を作ろうとするような動きが表面に出て来た。これは社会主義の発想ではないだろう。
- 経済開放はソ連の失敗を見たからだと思われているかもしれないが、大局的に見れば「西側」の自由主義の流れと歩調を合わせている点が注意されよう。
- バイデン新政権の政策について。
- アメリカ社会の分断は深刻なものがあり、こういう場合、内政引き締めのために「外敵」を利用するのは、昔から政治家の常套手段である。
- バ氏にとっては、何か失敗をして、ト氏の支持者に餌を与えるのが一番怖いので、中国を格好の標的として利用するだろう。
- こういうやり方は問題を混ぜっ返して悪化させることになりやすいので、我々は米国と中国の間に注意深く立つ必要があるのではないだろうか。