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日記のことを語る

一昨日、昼休みに子を近所の公園へ連れて行ったところ、六~七歳くらいの女の子が子に興味をもって積極的に関わってきてくれたのだが、しかしとても個性的なわが子はやはり一人の世界に入っていてほとんど反応しなかった。
そう、子を見てきた私は(やはりそうか)と思ったが、女の子は期待の反応を得られず少し不思議がっていたので、私は「二歳になったばかりでご挨拶が上手じゃないんだ、ごめんね」と言わなければならなかった。
そして私は気づいた。このような弁明を使えなくなるときがやがて来るのだが、そのときもなお子は他の子に反応できないかもしれない。今はまだはっきりしていないことがひとつ確実にはっきりするそのとき、私は本当の闘いを始めなければならない。子に何とか反応させるためではなく、こうして関わってきてくれた他の子を納得させるためでもなく、ただ私自身の偏見をくつがえすための闘いをしなければならない。そういう個性があるからできないと言ってあらかじめ子の可能性を限定することなく、しかしそういう個性があってもできるようになるかもしれないと言って過剰な期待を抱かせることもなく、ただ子と他の子の間に可能性と理解を切り拓くための言葉を、私自身の偏見にあらがってその都度見つけ出さなければならないのだ。
気づいたことはとても大きな学びだった。
昼休みが終わるまで、女の子はずっと関わり続けてくれて、私は間に立ちながら子にうまく吸収できるようにあれこれと言葉をかけてみたが、子はうまく反応しなかった(ただ女の子がかけた言葉のなかに含まれていたいくつかの単語をオウム返しに反復したのみだった。それでもそのうち二つは初めて子の口から聞いた言葉だったので、私はとても大きく子を褒めた)。子はやはり子なりに独特な仕方であれ全てを受け止めているので、やがて別の場所へ強い関心を働かせながらそこから立ち去ろうとした。私は昼休みが終わりそうなので、公園の出口へ子を連れて行くことにした。ついてきてくれた女の子は出口に立ち止まり、とてもたくさんの感情が入り混じっていながら非常に抑制されているかのような、無表情に近い表情で子を見つめていた。何と大人びた表情なのだろう。
私は子に手を引かれながら、女の子に「ありがとう、きみのおかげでこの子から初めて出てきた言葉があった。とても嬉しかった。またこの子と遊んでね」と言って立ち去った。女の子は人に見られていることを意識しているときの表情に戻って微笑んだ。