婚姻と姓氏(名字)の歴史的沿革について簡単に書こうと思います。理想的には事実だけをやや解説的に記したいのですが、若干?の推断や価値判断が雑じることがあります。
古代の律令、またそれ以前にも、結婚したら一方が氏を改めて夫婦同氏にするという制度はありませんでした(日本に同姓不婚の習慣はないので同氏結婚はある)。そもそも氏は生まれた集団を表し、結婚によって所属する氏が変わることもないので、称する氏を変えるという発想がありません。今の我々がふつうに言う意味での「家族」という観念もありませんでした。
古代後期から中世初期にかけて、血族組織の「氏」から「家」への変化が進みます。古代が氏の時代であるのに対して、中世から近世は家の時代とも言えます。これに伴って、氏を称することが衰え、名字の使用が盛んになります。皇室に宮家というものが出来るのもこの時期です。
名字は本来土地と関係するもので、武士であれば領地から取って付けたので、同じ土地に住むから同じ名字を称するという発想が出て来ます。領主が領民に同じ名字を与えるといったこともあったようで、論理的には「引っ越したら名字を変える」ということもありえたことになります。日本史の文脈ではこの辺りが夫婦同氏の起源でしょうが、それが原則にはなりませんでした。
江戸時代には、庶民は原則的に名字の公称は禁止されますが、実際には多くの人がそれ以前に名字を持つようになっていたようです。氏は武家や公家のもので、儀礼的な使用が明治の初めまで続きます。実際の生活上は名字を用いるか、家紋によって名字を象徴することで代用しました。
近世以前の氏や名字の使用法、結婚との関係については色々と議論もあるようですが、重要かつ見落とされがちなのは、明治以降のような強固な戸籍や住民票のようなものがなかった当時、人の名前にも流動性があったということです。場合によって名乗り方や表記を変えることもあるのは、当たり前のことでした。
明治の初めに、庶民に名字の使用が許され、また氏を廃止して名字に一本化する形で、法制度上の新たな「氏」が作られ、これ以後は氏(姓)と名字が同義になります。この時には結婚したらどうするという決まりがなく、明治九年三月十七日の太政官指令で、結婚しても「生まれた所の氏を用いるべきこと」とされました。新国家としての日本の発足は、王政復古を建前としたので、古代の例に則ったのは当然でした。
これを翻して、明治三十一年の民法家族法で夫婦同氏が規定されたのはよく知られています。これは中世以来の「家」が変化した、末期の形としての民法上の「家」制度の成立と関わっているのに、それが無くなって久しい今日なお残っているのは何故でしょうか。
血族の組織も含め、人と人との結合の仕方は、経済構造から大きな影響を受け、その中で生存可能な形を探って、常に変化して来ました。家、家族、結婚といった言葉が、どの時代でも同じ意味を持ったことはありませんでした。経済が生き物である以上、変化することは必然であり、それが歴史というものです。