自分の世代にとってのリアルタイムで話題作を提供してきた
スピルバーグやジョン・ラセターの映画にすごいなとか、映像の魔術師みたいな
ことは考えるけれども、それに豊かさや憧れって感じないんだよね。
即物的な驚嘆だけで、その映像から憧れるみたいなアメリカのホームドラマを
視聴した世代の感覚とは一線を画している。
筆者の母親がインド映画や韓流ドラマが苦手でアジア蔑視的な部分でものを見るのに対して
今nhkdやっている「アンと言う名の少女」をウキウキしているのを見ていると、
なんで映画や文學のイメージを逃げのびるために安全で守っているんだろう。
憧れとか豊かさって、人の心を雁字搦にするためにあるんだなとか考えてしまう。
最近はある一世の世代の人の心を雁字搦にして、時代が下った世代に
白けたイメージを与えてしまうアメリカより
ずっとイメージを変えないロシアのほうがあっぱれに見えてくる。
ヒトコト のことを語る