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万葉集のことを語る

近江の旧都を通った時に柿本人麻呂が作ったという歌。

原文:楽浪之思賀乃辛碕雖幸有大宮人之船麻知兼津
訓読:ささなみ‐の/しが‐の‐からさき/さきく‐あれ‐ど/おほみやひと‐の/ふね/まち‐かね‐つ
解詞:ササナミノ(枕詞)/シガ(地名)‐助詞(所属)‐カラサキ(地名)/幸く‐存る‐助詞(逆接)/大宮人‐助詞(所属)‐船/待ち‐かね‐助動(即当)
意訳:ささなみの滋賀の唐崎がそのままあるのはいいけれど、大宮人の船は待ってももう来ないのだ。
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わずか数年で放棄された近江大津宮。天智天皇は琵琶湖に思い出があったらしく、船で遊覧することを好んだという。その船が出入りしていた「カラサキ」は今も「サキく」あるのだが、王宮の人たちが乗った船は待っても来ない今だ。「待ちかねし」ならあとから回想して詠んだ歌ということになるが、「待ちかねつ」と「〜つ」を使うことで、今まさにその場でこのことを感じている、という臨場感の出る表現だと思います。現代なら言葉で伝えるより、写真を撮って「今こんなだ」と送るような場面。

枕詞の「ささなみ」に当てた「楽浪」の漢字は、その昔に漢が朝鮮に置いた「楽浪郡」を想起させ、琵琶湖から敦賀を経て高句麗へ通じる遥かな旅程が重なります。最後の「〜つ」に字訓仮名「津」を使ったのも洒落てるね。