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地震のことを語る

購読しているメルマガ@神戸メンタルサービス代表、平準司氏から転載します。

今回の震災に遭われました被災地の皆さんには心よりお見舞い申し上げます。現在においてもなお、避難所等で困難な生活を余儀なくされている皆さんには一刻も早い復帰を願ってやみません。

皆さんにお届けしておりますこのブログを提供しております母体は神戸メンタルサービスという名前の会社です。
「神戸」という名前が付いているように、社長の私は神戸出身で、いまだに神戸に住んでおります。
15年前の阪神淡路大震災の時も神戸の自宅におりました。幸い私の自宅は神戸の北の端でしたので、自宅の損傷程度で済みました。
そして奇しくも15年後の今回の大地震を東京出張中に経験致しました。

15年前、私は神戸で個人カウンセラーとして、細々とカウンセリングをしており、今のようなネット社会がまだまだ存在していない時代でしたので全くもって非力で無力だったのです。
そして、その時に心するものがあり、今の会社を作ることを考えたわけです。おかげさまで私どもの会社はとてもたくさんのカウンセラーを持つに至りました。また、今このブログを読んでいただいている皆様に、とても簡単に私どもから情報を提供させていただけるようにもなったのです。

今回、皆様にお伝えしたいテーマは「夢見る力」です。
今、神戸では15年前の地震が嘘のように、ほとんどの場所で地震の痕を探すことができません。しかしながら、地震当初は「一体これから神戸はどうなっていくのだろう。もう二度と人が住めなくなるのではないか」という話をよく聞いたものでした。
しかしながら、震災に遭い、すべてを無くしてしまった人々が、避難所でもう一度やり直すことを強く誓っている光景をたくさん目撃しました。具体的に何をどうするかは全く見当もつかなかったはずですが、みんながみんなを励ましていたのです。避難所にいらっしゃるぐらいですからそのほとんどの人たちは家がなかったはずです。

話は変わりますが、今から約10年近く前に、私どもの大阪事務所の近所を私が歩いている時、うちの事務所の近くの交差点で、大きな荷物を持ったおじいさんがキョロキョロと辺りを見回しながら、半べそをかいていらっしゃたのです。私はてっきり道に迷っていらっしゃるのではないかと思い、声をかけてみたところ、おじいさんが私にこの話をしてくださったのです。

おじいさんは昔、太平洋戦争が終わって、中国から引き上げてこられたそうです。実家は新潟だったそうですが、戦争後ゆえ大阪までしか帰って来れず、その当時の知り合いが、今、私の事務所のある付近にあったそうで、2ヶ月ほどここで暮らしていらっしゃったそうです。そして、そこからは戦争で焼け野原になった大阪が見渡せ、本当に何もなくはるか遠くまで見渡せたそうです。そして、おじいさんは「この先、日本はいったいどうなるのだろう。」と、不安に
思い、そして新潟に帰られ、この歳になるまでずっとお百姓さんをされていたそうです。そして、数十年が経ち、旅行で京都に来たついでに、思い出のこの地に来られたそうなんです。おじいさんは私にこう告げられました。「あんなに何もなかったのに…今はビルばっかりで何も見えん。」そして、絶句しながら、立ち並ぶビルを見ながら泣いていらっしゃった訳です。先ほど、伝えました、あの神戸の地震のことと、このおじいさんのことが私の中でかぶさり、思
わずおじいさんと抱きあい、二人でわぁわぁ泣いていたのです。

さぞや、外から見ると不気味な光景だったでしょう。

おじいさんはあの時、夢見たのだと思います。この何もない焼け野原がもう一度復興することを。そして、何十年か経った後、このビルの真ん中に立ち、あの時に夢見た夢が実現したことに喜びの涙を流されていたのでしょう。

私はこの仕事をして強く思うことは、人の心にはものすごく強い力があり、そして夢見る力こそが、不可能を可能にする奇跡の力だと考えています。

もう一度、今回の災害に見舞われた方々が、これを乗り越え、復興されることを、祈ってやみません。

最後に、15年前、多くの人たちと何度も聞き何度涙したか分からない中島みゆきさんの「時代」の歌詞をみなさんに贈りたいと思います。

◆時代/中島みゆき

今はこんなに悲しくて 涙もかれ果てて
もう二度と笑顔には なれそうもないけど

そんな時代もあったねと いつか話せる日がくるわ
あんな時代もあったねと きっと笑って話せるわ
だから 今日はくよくよしないで
今日の風に吹かれましょう
まわるまわるよ 時代はまわる
喜び悲しみくり返し 今日は別れた恋人たちも
生まれ変わって めぐりあうよ