id:dominique1228
勝手に引用のことを語る

香奈子を訪ねようとしない自分のことを、ひどい人間だとか、そういう風には思わなかった。香奈子の生活費や学費はすべてわたしが出していたが、そんなことは関係ない。四年近く付き合ってきて、世の中にはどうあがいてもどうにもならないことがあると身に染みてわかった。そういう無力感を味わうのは生まれて初めてで、香奈子が入院するたびに、病院を訪ね花を渡すたびに、そしていつまでも見送る香奈子を残して病院を立ち去るときに、人はいつか死を受け入れなければいけないときが来るとわたしは思い知らされた。そういう風に思わないと、香奈子の傍を離れることができなかったし、そもそも付き合うことはできなかった。

(村上龍 『心はあなたのもとに』 文藝春秋 p.6)