さて、アガサ・クリスティーが出した(と僕が勝手に考えている)「この女性は本当に幸せですか?」という問の答えを自分なりに書いていきたい。
多くの人は、「そうじゃないかもしれないけど、当人にとってはこれが幸せだろうね。」という回答をすると僕はなんとなく思っている。僕も前ならそんなことを言っていた。
でも、きっぱりと、この人は幸せじゃないんじゃないかな、と言いたい。
「当人にとって…」はただの幸福の相対化にすぎない。この女性は、結局、自分の提案が、全部無意味だったのだ。
何一つとして、他人に何かいいことをもたらしていない。
自分がそれをよかれと思っていてやっていたものは、全部提案された側からすれば迷惑でしかない。
そして、まぁよかれと思ってやってはくれているから…と言って、彼女の幸せを壊さないように、従うように演じられ続けている。
……
この女性が「真に、自分の価値観を持って他人に踏み込んで提案する」という僕の問いに及んでない点を最後に指摘しておきたい。
この人は、人のために良かれと思って提案をしているが、結局のところ、受け取られる形として発信していないのが問題なのである。なぜ受け取られてないのか。
家族たちのいろんな問題に対していろんな提案をしているが、この人にとって家族の問題は、家族たち各々の問題ではなく、その女性自身の問題になっていて、提案をしている自分に満足してしまっている。
ゆえに、家族たちは、彼女の価値観で彼女の中で解決してしまった問題に対して、状況として答えを出すには、彼女の答えに従うしかない。なぜならば、もう彼女の中では、その提案がなされた時点で解決済みの問題だから。
『春にして君を離れ』(クリスティ)レビューより