id:dominique1228
勝手に引用のことを語る

高井戸では斉藤がわたしを待っている。わたしが待っている男は遠く離れたところにいて連絡も取れない。何してるんですか、と言って酒井が現れた。襟に狐の毛皮のついたコートを着た女がロビーを横切ってこちらに向かっている。携帯を持った酒井が、その女に手を振った。チラシを見た女がまたこのホテルのバーにやってきたのだ。酒井はわたしのすぐ横にいるが、顔が見えない。ロビーを横切ってこちらにやってくる女の顔もはっきりとはわからない。そういえば、バーにいた男たちも、二人の女も、高井戸で待っている斉藤の顔も、わたしははっきり覚えていない。いったい誰が蟻の顔をいちいち判別できるだろうか。新しい女がわたしのそばをすり抜けてバーの中へ消えた。

(村上龍 「クリスマス」)