「頑張れ」って言葉がまったくデリケートに扱われなかった時代に 憔悴しきってたときに言われてつらかったって話をしたら せっかく応援してるのに素直に受け取れないのかって責められたなあ つまり最近のトレンドに従って敏感になってるのではなく ずっと幼い子供のころから、そういう状態のときに聞きたくない言葉だった 挑戦しているときの「頑張れ」は嬉しいけど、ほんと状況による 「頑張れ」は言うほうのための言葉なのかなあ