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[老老介護][自宅介護から逃げるが勝ち?]

引用ここから

<夫刺殺で猶予刑>老老介護「命削る作業」 超高齢社会の厳しさ浮き彫り
ちばとぴ by 千葉日報 1月30日(土)15時39分配信
 脳出血で左半身まひの障害がある夫=当時(72)=の介護に疲れ、自宅で夫を刺殺したとして、殺人罪に問われた野田市の無職、内野英子被告(79)の裁判員裁判の判決公判が29日、千葉地裁であった。吉井隆平裁判長は「家族らの十分な協力を得ることなく1人で介護を続けた。多分に同情すべき点がある」として懲役3年、執行猶予5年(求刑・懲役8年)を言い渡した。

 老老介護の果てに心中を決意し、長年連れ添った夫を刺殺した妻に千葉地裁は猶予刑を選択したが、事件から浮かび上がるのは、日本が直面する超高齢社会の厳しい現状だ。
 1969年に結婚。以後40年以上にわたり、仲睦まじく暮らしてきた内野被告と夫・東彦さん。歯車が狂い始めたのは7年前。東彦さんが脳出血を発症し、後に再発。内野被告の介護なしでは生活できない状態になった。
 同居する息子夫婦も一定の協力はしたが、毎日夫につきっきりの内野被告は追い詰められる一方。東彦さんは次第にこだわりが強くなり、大声を上げることも増えた。内野被告を休ませるため東彦さんは一時的に入院したが、全くの逆効果。内野被告は「退院したらまた介護が始まる」と、不安におびえていた。
 公判中、弁護側は介護を「命を削る作業」と表現。「介護の辛さは、側で見ているだけでは分からない。老人同士の介護は、今の社会全体に通ずる問題」と、繰り返し訴えた。
 “温情判決”の一方、吉井裁判長は「あなたの罪が消えるわけではない。介護を頑張ったことは法廷で見聞きしたが、夫と共に生きる道を探るべきだった」とも指摘。そのうえで「これからも罪と向き合う日々が続くが、周りとよく話し合うことを忘れないで」と諭すと、内野被告は「はい」と消え入るような声で答えた。

引用ここまで。

裁判長には、「夫と共に生きる道」って具体的に何ですか?と問いたい。
一緒に老人ホームに入居すればよかった?どちらかが死ぬまでつきっきりで看病すればよかった?
妻が夫と共に生きる道は心中しかなかったのではないですか?
私がもしこの裁判員だったとしたら、たとえ私ひとりであっても無罪判決を主張する。
ご主人は、奥さんを恨んでいるかな?長年連れ添った妻に刺殺されて「裏切り者」って思ってるかな?
脳出血で要介護になって、一番辛かったのはご主人ではないかと思う。
最愛の妻につきっきりでいてもらわないと何もできない。妻の疲れた顔を見続けた夫。
それを責めることはできない。
奥さんは、そんな夫を見ていられなかったんじゃないかと推測。

介護制度、福祉制度のあり方について述べるのは裁判官の職務ではない。
しかしこういった事件が後を絶たない限り、司法の立場からも発言してほしいと思う。
自宅介護を推進する政府は、こんな悲しい家庭を増やしたいのか。
長年連れ添ったパートナーや、育ててくれた親を自分の手で殺めるほどの苦悩を背負わせたいのか。

妻が夫を刺殺した、これは事実だし、罪は消えない。
でもここまで追い込まれた妻の立場に共感、理解する人はきっと私の想像以上に多い。

私は、父実家の祖母が認知症を発症する前に亡くなって欲しいと思っている。
子供の頃、共働きの両親の代わりに折り紙やお絵かきで一緒に遊んでくれた祖母。
仕事で帰りの遅い母の代わりに夜ごはんを作ってくれた。
朝ごはんは祖母の役目だった。祖母の作るオムレツが好きだった。
さばのそぼろ、茄子の油炒め、たいしたことない料理かもしれないけど、喜ぶ私のために作ってくれた。
そういう、元気な祖母の姿だけ覚えていたいのは私のエゴかもしれない。
でも、曾祖母が私、母、従兄、伯母の区別がつかなくなったように、
わたしのことをわからなくなる祖母を見ることには耐えられない。
3月末で父が定年になり、家にいる時間が少し増える。
父も、自分の母親が変わっていくことに耐えられず+激務で不眠症と抑うつ状態になっている。
私は父も母もどちらの実家にも世話になるつもりはないし、両親も私に頼るつもりはないと言っている。
両親より早く私が死ぬ可能性がなきにしもあらず。
春から、両親の実家ともども、老老介護に少しずつ近づいていく。