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日和のことを語る

中学生の頃、初めて精神疾患という概念を知って、親しくしていた養護教諭の先生に話した時「お前はうつ病だよ」と言われたんですけど、私はそれでものすごく安心したんですよね。
その先生は私がうつであるか否かを判断していたというより、私を落ち着かせるためにそう言ったんじゃないかと思っています。

昔から、「自分は何者なのか」という自問自答を繰り返していたのです。
私の記憶の限り、1番うつ病っぽかったのは小学生の頃で、毎日死にたくて、でも死ねなくて布団で泣いての繰り返しを数年続けてたってことですから、今考えればどう考えてもうつでした。

しかし、自分が精神疾患かもしれないと思うようになってから、うつとは違う意味で人との違いであったりとか自分の性格や思考に違和感を覚えるようになったんですよね。(いわゆる思春期が終わったと思われる今現在も、違和感が完全に無くなったわけではありません)
そして、自分の異常性を認識した時期とほぼ同時期に人との交流が増え始めて、いろいろな考え方を知って、取り入れたりしていくうちに「自分の異常性をカモフラージュして周りに溶け込む」ということができるようになったんだろうなと思います。

昨年秋に心療内科で心理検査などを受けた後の所見で「うつ病と診断される人と同レベルに憂うつ状態だが、治療の必要はない」という、正直意味のわからない診断結果を示されたのも、医師の診断よりも先に自分で自覚してあれこれ考えたからなんだと思います。(私の受診目的として、治療ではなく自分の悩みや問題点が客観的に解明できるものなら知りたいという確認の意味合いが強かったことも、治療の話にならなかった理由のひとつだとは思いますが)

私は今、自分のことを精神疾患とか異常だとかは考えずに、とりあえず「自分」だと解釈するようにしています。もしかしたら、何かの診断名がつくのかもしれないけど、その診断名がついても結局自分は自分なのであって、今までやってきたことやこれからやることが大きく変わるわけではないと思ったからです。検査を受けると決める前からそのスタンスではいたんですが、一区切りついた今、改めてそう思っています。

診断名がついていようがいまいが、自覚があろうがなかろうが、人は何かしら病んでいたりどこかしら異常なところがある、むしろそれが完全ではない生物としての性だと思うし、病んでいることや異常性の定義だって変化しうるものだと思うので、考えるのが面倒くさくなったんだと思います。むしろ、自分が健康でなんの問題もないと思っている人のほうが危ういかもしれない。

なんて書いてたらこんな時間だ。いい加減風呂に入ろう。明日もいろいろやらねば。