id:quadratus
勝手に引用のことを語る

「四方の石の壁は融けてなくなり、そのかわりにただ一本平らに伸びる冬の地平線が現れた。彼は雪と空だけの世界にたったひとりで佇み、風の音に耳をすまし、その中に混じりあっている匂いを嗅ぎわけようとしていた。(…)風は痛いほどに青い空から叩きつけるように吹き、さまざまな陰影を帯びた匂いを運んできたが、突然彼は自分がそれらに名前をつけられることに気づいた。水、野兎、狼、松、ヴェスタ。」
「彼は動かなかった。じっとしていると寒さが彼を苦しめにかかったが、やがて静寂が手に触れられるものとなって彼の呼吸や心臓の鼓動を律しはじめると共に、その感覚は過ぎ去ってしまった。静寂は彼の思考の中へ忍び込み、骨に浸透し、ついに彼は自分が空ろになり、冬の静けさを包む殻になったように感じた」
―パトリシア A. マキリップ『星を帯びしもの』脇明子訳