id:quadratus
勝手に引用のことを語る

 (…)目まいがひどくなってゆく。彼は子供が黄色い蝶をつかまえようとするときのように、みごとな小さな壁面にじっと見入っている。「俺はこんなふうに書くべきだった。近ごろの作品は無味乾燥だ。上から上へいくつも絵具を塗りかさね、俺の文章の一句一句を立派なものにすべきだった。この黄色い小さな壁のように」しかし目まいのひどさを彼はちゃんと意識していた。彼の目には天の秤に、自分の生命が一方の皿にのっているのが見えた。もう一方の皿にはみごとにかかれた小さい壁がのっている。彼は小さな壁のために無謀にもいのちを犠牲にしたことを感じていた。
 彼は心に繰りかえした「庇のある黄色い小さな壁、黄色い小さな壁」
プルースト『失われた時を求めて』 第五篇 囚われの女