hizzzさん、ご回答いただきありがとうございます。
なるほど、セクシャル・マイノリティではなく、
PCA(politically correct activist)="PCを主張する者"にとって、
「止められたから止まる」、「止まるしかない」状況は"社会差別という抽象的な巨悪"で、
それに抑圧される自己の存在を嘆いている(?)ということですか。
だから、「まちがってる!」と主張(PI/political Incorrectness)せずにはいられない。
愛のとらえ方は千差万別であると思います。しかし、いずれの場合でも
社会的な構造だとか、偏見だとか、ついてる性器だとかに関わらず、
あるいはそれらにいかに抑止されようとも、突っ走ってしまうしかない強烈な感情
が伴うのが「愛」なのだと、アタクシは考えます。
これは、同性愛者の方に、むしろ共感していただけるのではないでしょうか。
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- ------------------------------ PCAが、セクシャリティとか政治的な味付けのオブラートにくるんで
結婚式の5日後、ガンでこの世を去ったカティ・カークパトリック(享年21歳)
アイデンティティを保護しなくてはならないとしたら、そこに何か事情があるはずです。
この事情が、開示されることを期待してやみません。
開示されれば、議論の発展性や双方にとってのメリットもみえてきます。
また、その心細さとともにあることから自由でいられれば、少なくとも"PCA"は、
社会をもう少し「生きやすく」感じられるようになるかもしれません。
そこから、相互理解の扉も開かれるように思います。