制度的にカンタンになるかもしれないけど、
選ぶことがカンタンになるのは、今よりもう一世代先のような気がします。
たとえば、お墓。
家は共有財産にできるけど、お墓はできない。
さらに、仏教では基本的に、姓が違うと別檀家になるため、同じお墓に入れません。
余談だけど、話題になったNスペ「無縁社会~無縁死3万2千人の衝撃」で
名前がわかっていながら「行旅死亡人」にされた方のお一人もそうでした。
そして、農村部では「家」のお墓のことに「地域社会」が介入してきます。
平たく言えば「その墓にこの人が入るのがふさわしいか、否か」が
100%個人(埋葬する人/される人)の自由にはならないところがあります。
都市部はともかく、地方の豊かでかつ進歩的な家庭で
別姓の議論が進まないのは、「墓」に残された「地縁」と「血縁」が
無関係ではないと感じています。
ちなみにアタクシ自身は
「どっちでもいいよ、むしろ二人で新しい姓つくったっていいじゃん」派なんですが、
この問題を身近で見聞きするようになって、
別姓の難しさを別の側面から改めて考えさせられました。
夫婦別姓のことを語る