グァテマラの南東部、カリブ海に面した「リビングストン」ってそこだけ英語名で
黒人率がやたら高い街がある。
夕方、メルカードを歩き疲れて、街角で座ってぼーっとしてたら
赤ん坊を抱いた若い女性がアタクシのところにやってきて、
「ちょっと見てて」と返事も聞かずに赤ん坊を半ば強引にアタクシのひざの上におくと
どこかへ行ってしまった。
30分くらいして、満面の笑みで現れた彼女が「ありがとう」とひと言残して
またどっかへ立ち去るまで、
「本当に戻るんだろうか?」「もしやガイドブックにまだ書いてない新手の犯罪とか?」
「まさか、捨て子?」「ともかく、キミ泣かないでいてね」「おっぱいくれ、とか言わないよね?」
「そもそも見ず知らずの他人ですよ?赤ちゃんなんて預けちゃって大丈夫なの?
アタクシが悪い人だったらどうするのよ?」とか
頭の中はハテナだらけ。そんな街。
アタクシが行った90年代後半、ほとんどの街の若者は
「ハミカ、ハミカ(ジャマイカのスペイン語読み)」とさわぎたて
レゲエやスカやグァテマラのインディへナの民俗音楽ではない音楽を
観光客相手に演奏したり、薬の売人やったりして生計立ててるんだけど
当時、毎日ほぼ必ず停電するその街のことなんて
ジャマイカの人は彼らのことなんか知らないんだよね、って
普段コスタリカでボランティアして休暇でこの街に来たという白人の女の子がしゃべった。
夜中、人のいい観光客とそこにハエのように群がるリビングストンの若者が
どんちゃん騒ぎしてる街のレストランから離れて、
広場で飼われてるワニにチョッカイ出しながら、
お互いのこの街での身の上話とか、この街の情報交換とか
ここの湿気った温かい海風みたいに、ダラダラと。
彼女は、財布を落っことして(と言ってたけど、たぶん盗まれたのだと思う)、
国からの送金待ちで、当然滞在資金はショートしてる。
マナティ探しに来て、ここに辿り着いたアタクシは、とりあえずごはんを食べた店で
その店を切り盛りしてる若い女性のいとこっていうハンサムから
その夜のうちにボートの船主に紹介されて、早朝船出してもらう商談成立。
だけど、そこにのこのこ着いてきて、それからくっついて離れないそのハンサムについて
「愉快だし、アタマもいい。だけど、たかるのよ、ハエみたいに」というアタクシ。
「わかる。わたしもくっついたのは簡単だった。でも、資金ショートしてる今は
売人やってる彼に喰わせてもらってる」
「クサがシード(飯の種)ってわけね」
とか。停電の話も彼女が教えてくれた。「バカみたいでしょ、送金が毎度ストップする、だから送電もストップされる。そのサイクルが毎日なんだよ?」
ハエもクサもごちゃまぜで停電してるけど、その夜、繁華街からはずれた
海の近くにある家のお庭の芝生いちめんにまたたいてた
蛍の光がものすごくきれいで忘れられない。
マブイ落っことしそうになりながら、お庭を眺めていたら、
ぬっとご主人らしい中年の紳士が現れて(暗い中で黒い人がいて気づかなかった)
ビクっとしたけど、挨拶して「旅行で?仕事で?」と30分ばかり話したあとで、やっと
あんまり蛍がきれいなので失礼しました、と言えた。
そしたら「どうぞ遠慮なく。こちらに入って好きなだけご覧なさい」と一人にしてくれた。
停電中の暗いお家の中へ家族と。
あるいは、まばゆいお庭で一人。どっちでも、幸せになれる。
ジャマイカ人はリビングストンのことなんか知らないかもしれない、
けど、ジャマイカはリビングストンみたいなのかもしれない、
と今夜、バントウラジオを聴きながらふと思って、そう思うことができた。
「そうだったらいいな」ともちょと思った。
バントウさんラジオに触発されたけど放送で拾ってもらうまでもないつぶやきのことを語る