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寺社巡り同好会のことを語る

福島・栃木県境にある境の明神二社。
栃木側(那須町)と解説(の一部)
「【玉津島神社とよばれ、奥羽側の住吉神社と並立】している。創立は古く、天喜元年(1053年)4月14日に、紀州和歌浦の玉津島神社の分霊勧請と伝える。起源は峠神として生まれ、奥州街道が開かれると交通の発達とともに発展したが、明治に入り新国道や鉄道の開通によって衰退したものとみられる。」

福島側(白河市)と解説(の一部)
「旧奥州街道に面して、陸奥(福島県側)と下野(栃木県側)の国境を挟んで境の明神が二社並立している。【陸奥側の境の明神は、玉津島明神を祀り、下野側の明神は住吉明神を祀っている。】
境の明神の由緒は不明であるが、文禄4年(1595年)に当時白河を支配していた会津藩主蒲生氏が社殿を造営している、現存するのは弘化元年(1844)に建てられた小祠である。」
(【】はいずれもアタクシ)

外は男神(外敵を防ぐ)、内は女神(国を守る)ということで
両サイドともに「こっちにあるのが玉津島明神で、あっちにあるのは住吉明神」
と言って譲りません。
 
福島側の境内には、この地に旧暦4月20日(新暦6月7日)に訪れた
芭蕉の句碑
「風流の はじめや奥の 田うへ哥 (風流の 初やおくの 田植うた)」
がありました。

曽良が「卯の花をかざしに関の晴着かな」
と句を残しているように
芭蕉も正装でもしましょうかという勢いで
西行や義経はじめ歌人、公家、僧、武士が
足跡を残した白河の関越えをわくわくして来てみたら
「ここはその昔の人が歩いた道じゃねーっすよ」と言われて、
がっくりしちゃったみたいですけども。