(瀬織津(セオリツ)姫について、ちょっと捕捉)
保育園(幼稚園?)も併設されている神社のこの本殿で七五三のご家族数組と行き交いました
けど、たぶんこの廃墟(というかゴミ溜め)になっているこちらがもとの拝殿だったのでしょうか。
ご由緒に姫の名はありませんが
神奈川県神社庁のページにはうっかり「御祭神」と載せてあります。そして先のこの写真の、ここ
瀧落降渓流(さくなだり=岩を割いて流れ降る清い渓流)瀬織津姫(せおりつひめ)穂乃子(ほのこ)という真名にたがわず、また
天下(あまさがる)日前(ひのまえ)向津(むかつ)姫という称名のごとく
陽光に照らされたこの場所こそ姫の座所にまちがいないと「妄想強」のアタクシは直感しました。
ホツマツタエでは、大君があまりの美しさに心奪われ、姫に向かって自らきざはしを降りて、招き入れられたといわれ
日本史上初の中宮となられた瀬織津姫。
何の因果か、八十禍神と呼ばれ「記紀」から名を消されましたが、『大祓詞』で
「高山の末短山の末より、さくなだりに落ちたぎつ速川の瀬に坐す瀬織津比売という神、
大海原に持ち出でなむ」と姫の名は詠まれます。
(長くなったけど、かなり端折りました)
寺社巡り同好会のことを語る