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かがみのことを語る

今日の朝日夕刊一面。
家康の六男松平忠輝(家康から勘当された。改易や流罪にされたり、不遇な生涯を送ったとされる)の墓がある寺の住職が、25年前、当時の徳川宗家当主に忠輝の赦免を求める。当主はそれに応えて(一説には家康が死ぬ直前には赦免の段取りができていたとされるため)赦免状を出すが、児玉幸多その他の日本史学者に「こっぴどくしかられた」。曰く
「歴史というのは、後から触るものではない。300年もたち、若造のあなたが赦免状を出すなど、とんでもない」。
 
ポカーンとなりましたよ。「歴史に後から触る」ことなんて誰かにできるのか?というのもあるし、「現代」は「現代人」のものであって、家系の連続性によって誰かが精神上よい影響を受けるのなら、それはそれでよいじゃないかと思う。(「若造」呼ばわりというのも「何の関係が?」と思ってしまう)
徳川家は現在(経済的政治的優位性はありそうだけど)皇室等に比べれば影響力は少ないだろうし。
「日本史学者」が「歴史」について主導権を握る唯一の種類の人間だと思っているような節があって不快だな。
まあ児玉さんのような世代の人には「歴史を触る」=「皇国史観」というトラウマ構造になっているのかもしれないが。