北海道や沖縄に滞在して(といっても観光旅行程度だが)思うのは、「文化が違う」ということ。
それは関西やその他地域を旅しても感じることだし、「旅行」という装置はそういう性質を元来持っていると思う。
で。
http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20090112/1231783080
を読んで、何かを書くことができる程度まで、自分が知識や資料に乏しいことに気づいた。
大学のころはぱぱっとそれができる環境にあったのに、今は時間や環境や第一気力に乏しい。
http://blog.livedoor.jp/personap21/archives/64726571.html
の「セカイ系」の叙述「キミとボクしかいない身の回りの状況と、それとリンクした世界の一大事しか存在しない世界観」
(学校と家と住んでる町の一部分と、メディアの中の大きな問題)
を思い出してしまうが、学生というのは一種異様な、少数者の、特権的な身分なのだと思う。
社会人(というのも奇妙な言葉だ)になってからむしろ、「社会は社会人のためにできている」ことを感じるようになった。飲食産業はじめ、世の中の産業は社会人のためにできているものが多数派なような気がするのだ。
学生だったときには気づかなかったが、それは学生というものがそれに気づかないほど特権的な立場だということだと思う。
身の回りの非常に小さな人間関係と、遠くで起きている大きな問題だけに注力できる、恵まれた身分が、学生なのだ。まあ大学生と小中高校生でも、かなりちがいがあるだろうけど。
かがみのことを語る