http://d.hatena.ne.jp/miyakichi/20090611/1244689219
逆になぜ 「正常化の偏見」と「認知的不協和(特に2.と3.)」が起こらなかったのか考えてみる
簡単なまとめ
「正常化の偏見」…「自分だけは大丈夫」
「認知的不協和」…1.現実を変えたり、考えを変える。2.事実を軽視したり、無視する。3.屁理屈や問題のすりかえ等、自分を正当化する理由を探す
で、自分の場合、みやきちさんのヘイトクライム関連の記事を読んでも、「正常化の偏見」と「認知的不協和(特に2.と3.)」は起こりづらかったのですよ。
それはなぜなのかを考えてみると、「考えを変える」(「認知的不協和」1.)がそもそも必要なかった(ヘイトクライム関連の情報に以前から接していて、その時点で自分の考えが変わっていた)のが第一の理由としてある。
んでもって、 「正常化の偏見」と「認知的不協和」は必ずしも同時にやってくるわけでも、 「正常化の偏見」があるから「認知的不協和」がおこるわけでもない。
じゃあ、私が「ヘイトクライム関連の情報に以前から接していて、その時点で自分の考えが変わっていた」のはなぜか。
ここまで考えたところで今日はおしまい。おやすみなさい。
かがみのことを語る