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「エエ話でないと番組にならないのか」のことを語る

朝日新聞の日曜版(週間TVナビ)でNHK「きらっといきる」の紹介をしていた。
 
いわく、従来は障害者が前向きに生きる姿を描いてきたが、「出演する障害者のレベルが高すぎる。番組はきれいごとだ」という投書がきっかけでその「前向き」路線を見直し、改革委員会(障害者と制作者が参加)を作り、元気を与える「きらっと」と「ありのまま」の二兎を敢えて追う路線にしている、とのこと。
 
投書が来るまでそんなこともしなかったのが驚きだが(自分としては

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なんかのイメージが強かったので。ていうかこの本はNHKで紹介されたことがあるような?)、ここで気をつけなければならないのは
 
1 視聴者が何を望んで番組を見ているか
2 表象の暴力性
 
の二つ。元気がもらいたくて見ている人は「前向き」に生きている人の姿が見たいわけで(人が頑張ってそれが報われるストーリーによって自分も頑張る力をもらう、みたいな感じかな?)、そのストーリーの「純度」を下げる「ありのまま」の姿(タバコをすったり仕事に失敗して飲みすぎ、入浴介助に遅れてしまったり)に「がっかり」してしまう。
 
自分としてはなんでがっかりすんねん、と突っ込みたくなる(健常者だってタバコ吸うし飲みすぎるし、そもそも誰かを元気にするために生きなきゃいけないわけでもないし)。
 
記事中では世界人権問題研究センターの松波めぐみさんが番組を分析し、「エエ話でないと番組にならないのか」、困難の部分より「エエ話に注目しすぎ」と述べる。英国の障害者は「メディアはお涙ちょうだいの表現で障害者を食い物にしている」とデモ。表象がもつ暴力性が表れている。
 
で、1と2の観点に戻るわけですが。テレビは不特定多数の人間を対象にしたメディアで、障害者も健常者も誰でも見る可能性がある。だから、あらゆる人を「不快にさせない」必要がある(まあそれができてない番組が多々あるのが現状ですが)。
 
ただし、番組に何を要求しているかは、人によって違う。この番組でいえば「元気をもらいたい」もしくは「障害者のありのままの姿を知りたい」(ほかにもいろいろあるかもしれませんがここでは割愛)。
 
前者の要求は特定の「ストーリー」を求めているように思える。番組に出てくる個人というより、その人が提供する「元気の出る」ストーリー。記事中の表現を使えば「角度をつけてつくるやり方」で制作されたもの。
 
後者は「ありのままを追うやり方」で制作されたもの。
 
どちらも表象であり「物語」(narrative)であることには変わりない(キャー自分「narrative」とか言っちゃったよ)。受け手の要求、伝えたいメッセージが異なるだけだ。
 
そんな中で、ではどうすればいいのか。
自分としては、元気なんてもらわなくていいので気持ち悪い表象はやめてお願い、としか思わないのだが…(現実で障害者に「美しい」イメージを押し付けることにつながったりするし、差別を見えにくくするし、そもそも健常者が傷つかない作りだし)。
多分、特定のストーリーによって「元気をもらいたい」と思う人はいなくならないだろう。そういう人はお涙ちょうだいのストーリーに涙すればいいし、そんなストーリーはそこらじゅうに転がっている。
だが、視聴者の全員を占めるわけではない。ただの一意見だ。