私が専門にしている古代中世絵画史の分野では、なかなかセクシュアリティについて取りあげることは難しい。それなのに、どうしてこの問題に関心を持つかというと、私自身、女であることに疑問を感じながら生きてきたからである。小さい頃から女の子とうまく遊べす、今でも女の集団は苦手だ。それなのに、女子大にいるのが不思議だが(笑)。私はそれを、性自認が男だからではないかと思っていた時期もあったのだが、こうして大学の教員という職を得てみると、性自認の問題ではなく、女としての社会的な生き難さだったのだということがわかる。性自認は女で、ヘテロだが、それでも社会的には男の方が生き易かっただろうと思う。もちろん、男としての生き難さを感じている男性も多いだろう。ただ、私は仕事が好きだし、仕事に就くために、いわゆる「女らしい」訓練を何もせずにこの年まで来てしまったので、女としてより生き難いと感じているのだろう。FTMから見たら中途半端な私でも、「治療」に疑問を持っても、戸籍上の性を変えなければ生きていけないほど切実な人も、どんな人も自分らしく、自らの性自認のまま、ヘテロを強制されることなく、身体を変える自由も変えない自由もあり、異性装をする自由もある世のなかになったらいいのではないだろうか。
http://blog.livedoor.jp/mariko1961/archives/51638064.html
勝手に引用のことを語る